▼0001 New FD レンズの歴史

▼機械仕掛けの時代

 1954年(昭和34)に、キャノンとニコンより35mm判の一眼レフカメラが一般販売されました。この頃のカメラは、シャッタースピードは本体側で、絞りはレンズ側で設定する機構でした。そして、数々の自動機構に必要となるレンズと本体間の情報伝達は、ピンやスプリングの動作による機械仕掛けで行われていたのです。

 

▼自動絞り
 一眼レフでフォーカシングやフレーミングを行う時、絞り値に係らず常に明るいファインダーであることが期待されます。そのためには、常時は開放状態にあり、シャッターを切った瞬間のみ設定値へ絞り込む仕組みが必要です。この方式を自動絞りといいます。また、シャッターを切った直後に自動で開放状態へ戻ることを完全自動絞りと呼びました。

 

▼TTL開放測光とAE自動露出
 一眼レフで正確な露出計算を行うには、装着したレンズを実際に通る光量を用いることが肝心です。その方法を、TTL(Through The Lens)測光といいます。正確な光量を得るためには、実際に絞り込んでみる必要がありますが、そうするとファインダーは暗くなってしまいます。そこで、絞り羽は開放状態のまま、絞りリングで設定した値を予めボディーへ伝達し、予測される光量とシャッタースピードを合わせて演算させることで露出の適正、オーバー、アンダーを判定する仕組みが考案されました。この方式を、AE(自動露出)といいます。

 

▼FDレンズ

 キャノンのFDマウントは絞り値連動レバーを採用し、レンズとボディー間で双方向の情報伝達を可能にしました。この機構では、レンズの絞りリングを“A”の位置にすることで、ボディ側からも絞りを制御できました。そして、絞り優先AEのほかに、シャッター優先AE、プログラムAE、マルチモードAEが実現することになりました。
 またFDレンズでは、スーパースペクトラコーティングが採用されました。このコーティングは、高透過率、紫外線カット、耐久性に優れた表面硬度、安定した特性などの特徴を備えていると説明されています。

▼FDレンズ

 キャノンのFDマウントは絞り値連動レバーを採用し、レンズとボディー間で双方向の情報伝達を可能にしました。この機構では、レンズの絞りリングを“A”の位置にすることで、ボディ側からも絞りを制御できました。そして、絞り優先AEのほかに、シャッター優先AE、プログラムAE、マルチモードAEが実現することになりました。
 またFDレンズでは、スーパースペクトラコーティングが採用されました。このコーティングは、高透過率、紫外線カット、耐久性に優れた表面硬度、安定した特性などの特徴を備えていると説明されています。

 この新しい接点では、デジタル信号でボディとレンズの情報交換が行われます。結果、FDマウントは互換性を与えられずレンズ遺産となってしまったのです。

 

▼マニュアルレンズの復活

 この世にミラーレスカメラが登場し、介するアダプターによるフランジバックの自由度から、多くのマニュアルレンズが復活する時代を迎えました。古き時代の銘玉と呼ばれたレンズ、なかでも単焦点レンズは、そのポテンシャルをまだまだ引き出せる予感がします。

 あの時、高額で手の届かなったレンズが、今なら手に入ります。そして、自身で撮影を試すことができます。マニュアルカメラ時代を経験したことのある自分としては、ヘリコイドを回転させてフォーカスを合わせるのことに抵抗感はありません。撮影前の儀式のようなものですから。

 電子ビューファインダーならではの、ピーキングや拡大機能に助けられ、今、もう一度あの日のレンズを試すことができます。最新のコーティングが施されたデジタルカメラ専用のレンズには敵わないと言われていますが、でも行けそうな気がしてなりません。

 自分の腕と目で確かめるべく、このサイトを運営していきたいと思います。